「あなたのお父さんにお金を貸していた」|静岡県40代/男性
実父が亡くなったので、実父の義兄弟の家に葬儀の日取りなどを報告する為に、姉と向かいました。
父が亡くなった日の夜の出来事だったのですが、一頻り説明を終えたと同時に、「あなたのお父さんにお金を貸していた」と言われました。
生前の父からはそのような話は一切聞いたことがなく、むしろ父がかなり援助していた様な感じだったはずです。
私と姉は開いた口が塞がらず、そんな話は聞いていないと突っぱねると、今度は亡くなった父の文句を言い始める始末。
きっと私達が遺産を相続したものだから、おこぼれに預かろうという算段だったと思いますが、
亡くなった当日にこんな話をされたんじゃたまったものではありません。
伝えるべきことは伝えたのでそそくさと帰りましたが、遺産相続は家族内は勿論ですが、親類間でもトラブルが起こるのだと呆れたものです。
相続してすぐは高級車を乗り回していたそうですが、何一つ残らなかったそうです。 |静岡県40代/女性
わたしが大学生の頃、バイトしていた会社での出来事です。
社長と社長の奥様、社員が三名ほど、他はバイトの私しかいないような小さな会社でした。
ある日、社長が突然倒れ、すぐに病院に運ばれましたが治療の甲斐なく亡くなってしまいました。
奥様は大変落ち込んで仕事もままならず、社員のうち次期社長となる方がいたのでどうにか仕事を回している状態でした。
そんな忙しない中、遺産相続の話し合いが会社で行われました。話し合いに参加したメンバーは、奥様、息子さん、娘さん、社長の兄弟が5人と何故か社員三名でした。
私はお茶汲み係としてその場に立たされていました。
「全員で遺産を相続してほしい!」
息子さんが大きな声で皆に言いました。
「父さんの借金が5000万以上ある。会社関係のお金も個人で借金していたようで…」
ざわつく応接室。次々に、遺産放棄するべきだという声が上がりました。
「母さんの為に、両親で建てた実家は相続して残したい!その為には借金も相続することになるが、自分達だけでは無理なので、叔父さん達にも相続してほしい!会社のお金は社員達、特に次期社長さんに充填してもらいたい」
社長は見栄っ張りな人で、高級車や高額な家具などを所持しており、それを相続させるので借金も背負ってほしいと。
「放棄する!放棄の書類を持ってくる!」兄弟達は怒りながら、出て行ってしまいました。
娘さんも「私も旦那に迷惑かけられないから放棄するよ」と言いました。
次期社長は、そういう事であれば、継ぐ事は出来ないし自分は辞めるしかないと息子さんに言いました。
「この裏切り者!!母さんが可哀想と思わないのか!!」
息子さんが次期社長に殴り掛かり、他の社員や娘さん、私で引きはがしました。
「じゃあ全員辞めろ!社長は俺がやる!」と息子さんが啖呵を切りました。
「わかりました」
次期社長と社員達は、コピー用紙に辞表を書いてテーブルに叩きつけ、自分達の私物を持って出てってしまいました。
私が慌てて追いかけると、「お前もさっさと辞めた方がいい」と言われました。
応接室に戻ると、部屋はしっちゃかめっちゃかになっていて怖くなり、自分の席に戻って同じように辞表を書いて机に置いたまま帰りました。
その後何年か経ち、私が就職した頃、当時の次期社長と偶然再会しどうなったかを聞きました。
私はバックレた形になりましたが、他の三人の社員は奥様しかいない日に会社に戻り、会社としてどうするかの話し合いをしたそうです。結局会社は、息子さんが継ぐ事になったのですが、元々自転車操業だった事で一年持たず倒産し、遺産も奥様と息子さんで相続していた為、更なる借金を負ったそうです。
相続してすぐは高級車を乗り回していたそうですが、残したいと言っていた実家ものちに売りに出され、何一つ残らなかったそうです。
今思えば、息子さんは母親のためと言いながら、欲に目が眩んだのかな…と。
相続問題が決着した瞬間から、姉夫婦からの嫌がらせ攻撃が一切なくなりました。|静岡県50代/女性
私は二人姉妹の妹です。6歳の離れた姉との相続問題についてお話します。
姉はもともと「後継ぎ娘」として育ち、成人しましたが、親の意向に反して他家へ嫁いでしまいました。「嫁いだといっても相手は次男だからいずれ姓を実家の姓に戻す」などという口約束のもとに。
しかしながらいったん変えた姓をわざわざ実家の姓に戻すなんてことを簡単にやるはずがなく、それどころかそんな約束などしていないといった勢いで親の期待を裏切ってしまいました。
両親が亡くなった後、両親は生前何かを察していたのでしょう、わざわざ遺言書を作ってくれていました。それには、姉と私への不動産と動産、合わせて数千万円の相続が半分ずつになるよう細かく書いてありました。しかしながらそれを見た姉は激怒。「もともと私が継ぐはずだったものなのに納得がいかない!」と。私は、姉と両親とのもともとの軋轢や確執を詳しくは知りませんでしたが、さすがに「姉が継ぐはずだった」とは詭弁です。遺言書通りに継ぐことを主張する私と、それが気に入らない姉とでトラブルが起こってしまいました。
遺言書の内容が気に入らない姉から私への執拗な攻撃が始まりました。A4用紙何枚もの超長文の手紙、時間をわきまえずかかってくる長電話。毎回のように、自分がどんなにつらい思いをして育ったか、親の気持ちを汲んで頑張ってきたかが語られていました(嘘が下手だぞ、被害妄想だぞ!)。そして、そのうち、姉の夫からも私を攻撃するメールがひどいときは毎日のように来るようになりました。私は精神的におかしいからすぐに病院へ行け!といった内容が主でした(お前が行け!)。途中から無視することにしましたが、当時、私は大学入試を控えた高校生の子どもがいて、また夫も責任ある仕事についていましたので、正直私たちの生活にも大きな影響がでてしまいそうでした。
この攻撃が数か月続き、私は一切の相続を放棄しました。もちろん裁判所に訴えることもできましたが、これ以上同じ土俵に立ちたくなかったし、家族にも迷惑をかけたくなかったのです。夫は我が子たちもあきれていましたし、早く決着させる以外に道はありませんでした。お父さんお母さんごめんなさい、私は姉と仲良くできませんでした。
相続問題が決着した瞬間から、姉夫婦からの嫌がらせ攻撃が一切なくなりました。もちろん私の中では彼らと縁を切りましたので、今は連絡はおろか年賀状のやりとりすら絶ちました。今後も(亡くなったとしても)一切つきあいません。
相続放棄を決めたときの気持ちを今でも昨日のことのように覚えています。これがベストの選択である。一番大事なのは心であって、ものではない。ものに固執する人とはしょせんうまくやっていけない。縁があって姉妹になったけれど、それは、この縁をさっぱり切るために姉妹として生まれてきたのだろうと。
ありがたいことに、その後我が子は大学受験に大成功をおさめ、夫はさらに出世して、順風満帆な日々を送っています。
母は、故郷の立ち入りを禁止され、お兄さんを失いました。|静岡県30代/女性
私の母の話ですが、私の母には兄がいます。去年、母の父(私にとっての祖父)が亡くなりました。祖父の生前、母とお兄さんが遺産について話をしていました。その時に私の母は、「一銭も要らない」と言っていました。そして、お兄さんが祖父の同一敷地内での生活をしていて、介護もしていましたので、母は、その点も含めて要らないと断言していました。しかし、いざ祖父がなくなり、遺産相続の話になると、母は「遺産は兄妹で折半するのが普通だろ」と意見を変えました。お兄さんは驚いて拒否しました。そして介護もしたし、支えてきたのは自分だから折半では無くて2対8ぐらいでいいかと話をしました。でも一筋縄では行かず、結局母は、弁護士を入れて家庭裁判所で話をし、決着をつけました。母は1500万円を手に入れ、お兄さんは土地を手に入れましたが、弁護士を立てたことや意見を変えたことに腹を立てたみたいで絶縁状を送ってきました。母は、故郷の立ち入りを禁止され、お兄さんを失いました。
地主&山持ちだった祖父はネットでいうところの農家脳|静岡県50代/女性
祖父が亡くなった時が一族崩壊の大修羅場でした。地主&山持ちだった祖父はネットでいうところの農家脳で長男教、お金で優遇されてきた長男伯父一家でしたが、その実情は我儘な祖父に別棟同居を強要され、ずっとその暴言に振り回されて苦労していました。
私の父は次男で遠縁にあたる家に跡取りがいなかったので養子に出されており、すでに本家とは縁が切れたようなものでしたが、その祖父が亡くなった時に他の叔母二人と末っ子の叔父が遺産相続を主張して祖父宅の金庫を漁り、土地や家屋の権利書や銀行の通帳と実印を持ちだして警察沙汰になりました。本当に空き巣に入られたかと思ったのです。
そもそも、その叔母たちと末っ子叔父は子供(祖父からすると孫)の学費などさまざまなことで祖父や祖母からお金を引き出しており、伯父もそれを黙認していたのですが、贈与税などもきちんとしていなかったので、税理士さんや会計士さん、最終的には弁護士さんを入れて生前贈与だの遺産相続だのと大揉めに揉めました。
結果的に本家を存続させるためにはこれだけの土地と資産が必要なのだということや、それまでのやりたい放題だったお金のやり取りを暴露されて他の親戚たちからぎっちりしめられた叔母たちは予想していたよりもはるかに少ない取り分にブチブチと文句を言ってそれ以来親戚づきあいもほぼ無くなり、私の父も呆れてとりなすこともしなくなり、それ以降は本家とほそぼそと付き合いが続くだけになりました。
土地って、ただ持っているだけじゃなくて、維持管理と税金にすごくお金がかかるんだってこと、実家なのに叔母たちは何も学ばずにきちゃったんだねぇ、と呆れた次第です。